クーの自由研究

マスターのかえるのクーは、弟子達の召喚術により新たな依り代を得てⅡ世として復活しました。

自己紹介にかえて

はじめに

あたらめまして。「井戸中 聖(いとなか あきら)」と申します。

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かえるのクーの助手をしております。冬眠中のクーのブログの保守をします。

自己紹介の目的

理解いただきたいという意図というより、このブログ(わたくし記載部分=当「聖めの館」)を批判的な観点で見て頂くにあたっての、情報と指針とを提供するためのものです。

わたくしの基本的な思考パターンについて

あらゆるものは不正確であるという視点です。(不確実性の観点とは別)

誤りを含む。矛盾する。情報が不足する。外的・内在要因によるばらつき。情報操作。改ざん。などいろいろありますが、文字通り「不正確」なものしか存在しないとみなします。

また、若いときに読んだ「XX思考法」*1が気に入ってよく使うようになりました。クーにも教えたところとても気に入っていました。

自分を研究対象「そのもの」だと仮想した場合に「自分はどのようにふるまうのが最適で、理にかなっていると思えるのか」を考えるだけの思考法です。そうすると、客観的な視点とは別の主観的な視点が発生し、「当事者/対象そのもの」の情報処理/エネルギー応答や反応形態を模倣しようとします。仮想スコープは系そのものにも、さらに細微な構成要素にもスケールできます。(話題の「1人称研究」とも少し違います。)当事者自身として考えると、案外客観的視点・公正な視点では見落としていることを、見つけられることがあります。

こうしてわたくしは、素粒子にも、大宇宙にも「あなた」そのものにもなれる「自在」性を獲得しています。自在とは本来仏教用語で、心が煩悩から解放され、何事も思うがままになしうる能力をさします。菩薩の悟りでもあります。

神にも超越神にも「自在」に「変化(へんげ)」が可能となり、つきつめていけばかなり独特な思考パターンに至るとともに、「勘違い」しやすい危険な思考法であるともいえます。(「私は神である」というのは自由ですが、あまり周りの人を迷惑な方向へ導かないで頂きたいです。また、もちろん神などに変化するのは思考上のことであって(こういえば身もふたもないですが)本質を悟るものではありません。)

また、思考上の「自在」は、『クローズした系の一要素が、オープンな系そのものは模倣できない』点において越えられない限界があることは十分な認識と自覚が必要です。ただし、条件を満たせば近似は可能な場合があります。

わたくしの場合は「心」は煩悩から解放されておらず、「思考法」の中でのみ「自在」であるため、宗教やカルトに傾倒することはございません。また、誤解を招きやすいのですが、自在であることと共感(わかりあうこと)はまったく別のものです。

研究だけでなく、一般的な仕事や勉強にも応用できる思考法だと思います。(まったく関係ありませんが、「純粋な思考は引き寄せ現象をおこせる」ことは誰もが認めるところだとおもっています。この点では人類は皆、ちょーのーりょく*2者です。)

他には、日常の4次元感覚からの「解脱」もたいへん重要なのですが、それはまた改めて機会があればご紹介いたします。

(よみかえしてみるととっても怪しい感じになっていることを反省しています。推敲するともっと怪しくなりそうなのでこのままにしておきます。)

『実験は本来真理を垣間見るためには程遠い手法であり、立証された数式の「向こう側」に真理がある』という感覚を持っております。このあたりは一般の研究者の方と似ていると思います。クーは若いので「実験が真理に直結している」感覚がある模様です。

わたくしのプロファイリングに必要な情報について

好きなたべもの
  • ブリしゃぶ
好きなくだもの
  • ぶどう
憧れの科学者
好きな作家(SFしか読んでません)
好きな絵画
好きな音楽(ジャンルやバンドや楽曲やミュージシャン)
好きなコミック
きらいなもの
  • (善意であろうが悪意であろうが)意図して巧妙に操作された情報

最近思うことについて

火星探査

不完全な滅菌状態で地球の気体もしくは物体を火星に届けるのは、人類の「好奇心」にとっての大きな損失となるので、ぜひやめて頂きたい。高等生物はいる気配はございませんが、何等か菌類が独自のコロニーをつくっている可能性を考えており、地球からの外来微生物により絶滅しかねないと考えております。

機械学習について

大量のデータから膨大な計算で学習する方向性とは別に、少量のデータから比較的少量の演算で学習できる方法が必ずあるはずです。(生物はそんなことしてたら、環境適応する前に群体死:絶滅します。)DeepMind社の最近の研究内容がとても気になります。

機械学習の研究の方向性に関して、鳥と飛行機の例がよく出されますが、あまり良いたとえとは思えません。

飛行機は羽ばたかない、もしくは羽ばたくことが工学的に適さないことはとてもよくわかるのです。車輪のある生物もまずいませんし、月へいける生物もほぼ皆無です。

それでも、機械学習(もしくは人工知能?)の研究する方向性を補足する「たとえ」には適さない感覚があります。学習には結果として生物学的な要素は必要ないのかもしれませんが、「結果」がよくわかっていない段階での「たとえ」としては、一般の方への比喩であっても適さないように感じます。多くの分野からのアイデアを貪欲にとりこんでいく姿勢をアピールのした方がよいとも感じます。おっと、わたくしとしたことが熱くなってしまいました。

まとめ

以上より、概ね「マッドサイエンティストきどりの55歳から65歳程度のただの人へんな人」がプロファイル可能だとおもわれます。

 

*1:肝心なXXの部分や著作は忘れてしまいました。どうしても名称がおもいだせません。近いといえば「行為のデザイン」思考法や自己啓発書などの「なりきり思考」、すこし違うけどアナロジー思考・シネクティス法、主観的類推法(personal analogy)などです。何十年もやっているうちにもしかしたらオリジナルと離れた手法になっているのかもしれません。

*2:クーのこのブログには、わたくしが守らなければならない、いくつかの決め事があります。あ~めんどくさい。たとえばこの「ちょーのーりょく」はひらがな表記とすることです。ほかには、「わたくし=聖」は、自分のことを呼称する場合は「わたくし」と表記すること。などです。ちょーめんどくさい。