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クーの自由研究

かえるのクーが素朴な疑問を実験して報告します。

古き良き時代を思うようなお年頃になりました(助手)

あのころはよかった

Kooはがんばってプログラムをしているようですが、いっこうに進まず記事がかけないので、「なんか書いて!」と「命令」がありました。

Kooの助手の「井戸中 聖」(いとなか あきら)でございます。前回書いた記事が裏目にでて書くことになりました。ほんとにへそがないのに(以下略)。

目新しいことが何もないので、古き良き青春時代のことを書きます。精査すると年齢がばれるので、流し読みするか読み飛ばしてください。余談ですが、クーは実験自体にあまり他人を介在させないので、わたくしは「助手」というよりは「執事」といったほうが合っているかもしれません。

わが青春のBASIC

マイコン*1はTK-80の時代から興味がありますが、初めて触ったのはTK-80(+TK-80BS)にプラスチックの赤い筐体をまとわせた!懐かしのNEC COMPO BS/80でした。まだパソコン雑誌のないくらいの時期です。(トラ技ではいろいろやってたけど)

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パソコンといえば「PC-8001」や「MZ-80C/K」が主流になっていきますが、COMPO BS/80はそれよりも前の主流になれなかったマイコンです。*2

高価で買えないので、近くにできたパイロット店舗的ないわゆる「マイコンショップ」に足しげく通いました。当時は普及/啓蒙目的で自由に2時間くらいなら「占有して」使わせてもらいました。(もちろん無料、買えないのが分かっている学生にも優しかった。)カセットテープ片手に毎日のように通いました。

BASICプログラムでゲーム的なものを作って遊びました

電子回路は真空管が基本

いちおう理系の大学に行きましたが、予算の関係で実験機材は「骨董品」でした。

電子回路の実験は「真空管」でした。幼少のころでこそ、テレビは真空管があたりまえでしたが、大学にいくころには真空管を見るのもめずらしくなっていました。時代は「トランジスタ!」です。パッケージ化されたオペアンプなども手軽に入手できるようになっていたと記憶しています。そんなころだったので、「最先端を勉強するつもりがこれかぁ」とがっかりしたものです。ところが、「真空管」の素直な特性を計測するにつれ、終盤にはすっかり「真空管」のとりこになっていました。

残念ながら秋葉原の「ラジオ会館」はいまやフィギュアとカードショップばかりで、真空管やわけのわからないワクワクするジャンクを扱うお店がなくなりました。他の場所ではまだ古き良き電子骨董品を扱うお店がありますので、ぜひ頑張って存続してほしいです。話がそれました。

デバッグはハサミとのり(テープ)で!

学科実験実習の極め付けは「HITAC 10」(はいたっく てん)という日立製作所製の国産初のミニコンを使ったプログラミング実習でした。当時ですら「XX博物館に展示してあるやつと同じだよ。」と噂されていました。

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演習プログラムでこれくらだったかな。
ちなみにFORTRANコンパイラは30~40mくらいだったと思います。

記憶装置(主メモリ)に磁気コアを採用し、最大32K ワード、入出力はテレタイプ(そう!紙テープを打つタイプライタ)。言語はFORTRANでの実習でした。

COMPO BS/80を触ったことのあるわたくしにとっては、逆カルチャーショックでした。

まず紙テープのFORTRANコンパイラをロードするところからですが、IPL(Initial Program Loader)を手入力で入力するところからはじまります。30から40ワード入力したように覚えています。(1ワード=16ビット)

プログラムは念入りに紙に書いて「机上デバッグ」してから書いたとおりにまちがわずに入力しなければなりません。

1文字入力すると、1文字分(8ビット/文字としては7ビット、のこり1ビットはパリティ)の穴をあけていきます。間違って入力すると大変です。修正用のシールと単独穿孔の道具で紙に穴をあけたり、ふさいだりしなければなりません。まとめて修正する場合は紙テープの切り貼りです。正しい部分だけ入力して紙テープを作り、ハサミと紙テープ接続用のシールを使って「デバッグ」することになります。出力はプリンタだったと思いますが、ドットで文字をつくるものではなく、タイプライターそのものだった記憶があります。

初速度、初期角度と重さ、空気抵抗(係数)、気圧、到達最高予定高度、重力加速度などを適切に計算すれば弾道計算がかなりの精度でできます!!なお、慣れてくると「紙テープ」が読めるようになるのは「本当のこと」です。(いちいち対応表をみていたのではデバッグになりません)初代ウルトラマンで「キャップ!東京湾に怪獣出現です!!」といっていたおねえさんは、紙テープを読んでいましたが、「ほんとうかなぁ。」と思っていました。大学生になって、ジブンの無知さを恥じました。

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社会人になったころは、さすがに紙テープを使っているところはありません。いまでいうIT企業に就職したのですが、COBOLの実習をしました。でも実務ではほとんどCOBOLはやらず、かわった言語ばかりでした。LISPで最適配置計算や自動設計プログラムを組んだこともありました。

パンチャーのおねえさんはすてき

研修では、コーディングシートにちゃんとした文字で手書きし、「パンチャー」のおねえさんにお願いして「紙カード」にパンチしてもらいました。おねえさんは「驚異的なスピード」でパンチします。おどろきました。汚い字だとおねえさんがよめず、「これなんて字?」と聞かれ赤面することに。。。

紙カードは「落とすとたいへん」

落とすとたいへんなので、「落とさないように!」といったとたんにぶちまける人がいるのは、「なんとかの法則」とおりです。

順番がばらばらになった紙カードを順番に並べ替えて読ませないと、プログラムエラー

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になります。(1枚の紙は80桁まで文字を書け(穴あけ)、順番に紙カードリーダに読ませます。)なお、パンチャーのおねえさんがいたのは研修のときだけで、社に戻ってからは「実は紙カードなんてもう使ってない」ことを知りました。

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媒体といえば、「オープンリール磁気テープ」は本当に「鉄腕アトム」のお茶の水博士の研究所にあるようなものが動いていました。回転する方向や速度が生き物のように変わり、動きが独特なんです。わたくしが触っていた機器は、リールが録音機材のように横並びではなく、縦並びでしたが。。。ほかには、いまでいう「カーリング」のストーンよりも大きな「着脱式ハードディスク媒体」(ウインチェスタ型可換媒体)にも驚きました。10.5インチだったかな?なんと当時で70MBもの容量でした。媒体が可換ですがこれは触る機会はありませんでした。(オープンリールは何度も着脱しましたが、ワクワクしました)

人工知能には興味がありました

仕事がらパソコンに興味がなくなりました。(IT関係なので、帰ってまでさわらなくなったのです)このころも第何次だったか忘れましたが、人工知能がブームでアルゴリズムをいくつか考えたものです。そのうちのひとつは、いわゆる「ボルツマンマシン」に通ずるものだったと勝手に思っています。

ボルツマンマシン似てはいますが、発想が違い、当時スペック的に実現できなかった(一部のみ実現した)のですが、今のパソコンスペックでは十分実現可能なので、そのうちKooにお願いして創ってもらおうと思います。

UNIXは好きでした

 機器の廃棄にはゆるい時代だったので、会社で不要になったSun SparcStationというUNIX機を廃棄時にもらいうけ、自宅で遊んでいました。まだLINUXがなかった時代だったので重宝しました。でも仕事でUNIX系を使うことがほとんどなくなり、忘れてしまいました。一世を風靡したSunもいまやOracleの一部かぁ。。。(しみじみ)UNIX/LINUX系は今度また再入門してみます。(たまにLinux/UNIXを触る機会がありますが、vi(エディタ)は体が覚えているので、Windows系のエディタよりもいまだにしっくりきます。けれどOSコマンドはほとんど忘れてしまいました。MS-DOSコマンドよりは覚えていますが。。。(苦笑)コマンドプロンプトに必ずls と入力するのはお約束です。ちなみにawkが大好きでした。)

音楽の趣味など

音楽好きですが、あまり面白い話はないです。

箇条書きします。

・?学生の時、「カーペンターズ」の来日公演をみて感激した。

・高校のときピンクフロイドの「原子心母」を聞いて「プログレ」に泥沼的にはまった。

・同じく高校で「民族音楽」に目覚めた。「小泉文夫」大先生のFM放送は欠かさず聞いた。

・高校3年生のときに、受験勉強から逃避するため、独学で(といってもピアノを習っていたへたくそな妹から教えてもらったけど)ドビュッシーを中心に練習した。(そして今はもう弾けない)

・大学のとき「AMDEC CMU-800」を購入し「打ち込み」にはまる。*3

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とても高かったけど買ってしまった

CMU-800 写真はどなたのかを拝借

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こちらは憧れのMC-8

春の祭典」は発表されず残念

・知人のご家族がコルグ社に務めていたので、口利きで楽器店経由でしたが、Δ(デルタ)というキーボードを購入した。「シンセ好きなのに、MS-20でないの??」的な感じでしたが、ピアノの練習をしていた私はどうしても「和音」が弾きたかった。*4

・社会人?になってからは、平凡な生活を送ったが、アルバイトで「ゲーム音楽」の作曲をしたこともある。

・クーが計算機音楽の原点かつ古典的バイブル!と崇拝する「Bit別冊 コンピュータと音楽(1987/9)」はリアルタイムで買った。ほかにはMICROという雑誌(1984)のコンピュータと音楽の記事もおもしろかった(人工知能の記事も連載していた:捨ててないのでどこかにはある)。(追記)Bit別冊は1987/3に「コンピュータ・サイエンス」というのがでており、実は半分程度が計算機音楽関連の記事(論文の翻訳)です。「音楽と人工知能に関する研究」「計算機音楽のシステム構造」「計算機音楽の合成、演奏、作曲用プログラミング言語」「計算機と音楽のインターフェース:調査」があります。日本において計算機音楽の言葉は、この雑誌でごく一部に定着したと考えています。こちらも持ってます。(追記ここまで)

・クーと出会う何年か前からエレキギターを改めて練習し始めた。KingCrimsonのRedあたりをよく練習したが、最近はサボっている。

・今年はお庭で菜園をがんばる!ピアノとギターの練習も頑張る!

・最近まで「いえに帰ってねるだけ」な平凡な毎日。kooの助手になってからは面倒くさいながらも、ワクワクする日々。

う~ん。以上の情報でプロファイリングするとで、全世界の中から3人ぐらいまでに絞り込めるなぁ。(いや最後1つで特定可能になってる)

 

駄文をお許しください。

 

*1:パソコンといわれはじめたのは、そこそこ後になってからだった気がします。

*2:今調べなおすとCOMPO 80/BS発売と「PC-8001」の発表時期がかなり近かったのに驚きます。PC-8001はCOMPO 80/BSの1年後くらいに初めて見た記憶があります。

*3:CMU-800は「冨田勲」大先生が使われていたRoland MC-8 の子分にあたります。MIDIはまだなく、VCO/VCAの時代(ボルテージコントロール)だった。AMDECのVCインターフェースに接続するためにシンセサイザーの回路設計をして、オペアンプと抵抗をやまほど買い込んだ。(結局作らなかったけど、オペアンプはまだある)ちなみにAMDEC CMU-800はコンテストで入賞するほど入れ込んだ。(このCMU-800のソフトウェアを完全逆アセンブル解析&改造した人もいるらしい。。。)なお、MIDI規格はMC-8の情報の扱いを参考に作成されたので、CMU-800も同じコンセプトなのでMIDIには割とすんなりはいれた。CMU-800のインターフェースを改造してシリアルインターフェースチップとフォトカプラでMIDI出力できるようにも改造した。そのあとすぐMIDIインターフェース製品を買ったので、CMU-800/MIDIはほとんど使わなかったけど楽しかったなぁ

*4:このあとYAMAHAクラビノーバROLANDのデジタルシンセや録音機材など、すべてのおこずかい(社会人?になってから給料)が楽器につぎ込まれていくことになりました。楽器コレクタ癖はこのころからです。青春期の抑圧された欲望のパワーはすさまじく、今だ発散しきれていません。家には入力機器を含めてキーボード(鍵盤)が6台、ギターはアコースティックも含めて10本くらいあります。趣味とはそういうものです。(笑)